ラジオの準備〜就活の記憶よ蘇れ編〜
私は、そもそも就職せずに自由なニートになりたいんだー!と本気で言ってたところから始まった人間です。
今では、商社という業界で、営業をしてそれなりに、たのしんでいる普通の会社員。
この時代だからこそ就職することが余計に怖い、そもそも就活自体が怖いって感じる学生は多いと思うなあ。
就活の仕方がわからない、相談する勇気がない、などみたいな方々を勇気づけたいと思う気持ちも少ーしだけ入れながらブログを書こうと思う。
あ、あと明日のラジオの予習も。
大学3年の1月末のちょうど今頃にゼミの先生に
こんなラインを送っている。
「私、やる気はあるけど、行きたい企業が見つからない、商社かな〜となんとなく思っているくらいでピンときていない、まずは何をするべきなのか。なにかアドバイスがほしいです!」
と。
先生からの返信は、
「詳細度高いアドバイスがもらえる人は自分の考えを細かく言語化している人ですね。何となく商社かな、はなぜなのか。業界地図見て世の中にどんな商社がどのくらいあって商社間の違いや儲け方の違いまで語れて初めてその次が見えてくる。インプットが足りてない!」
ということでした。
そうだ。私の就活ここからだ。
そこから1週間商社について調べまくった。
。。。そして商社は違うってなった。
私の考えはこう。
「商社の仕事は、ある程度の形ができていて、言ってしまえばその会社、人でなければならないという仕事ではないかなと思いました。その上、これからAIやロボット事業の拡大で、人ができる、必要とされることが少なくなってやりがいを感じにくくなるんじゃないかな」
だから、私はワクワクしなかったです。
ワクワクしなかったから、そこで私は自分がサービス業界の方が自分のやりたいことと合っていると考えた。
そこからサービス業界を調べて調べて、(調べ方はネットや先輩にきく、説明会参加)
サービス業界を中心に、あとどうしてもなぜか気になって捨てきれなかった1社の商社も視野に入れて、、、様々な説明会に参加した。
そしてここだー!ってビビビッときたブライダルの会社を見つけた。
ちなみに私はブライダルまっったく興味なかったし、ブライダルでのバイト経験もないし、結婚式に参加したのももう記憶にないくらい。。
今、思ってもあの時あの会社に入社してたら今どんな生活送ってるんだろうな〜とか考える。
もちろん今の会社で1ミリも後悔はないですよ。
そうして、ブライダル一社に絞るのちょっと怖いなあ、とかビビった私は気になるブライダル会社をもう2社、とエントリーシートを出した会社は、ブライダル3社と商社1社。
ってえー、こんな少なくていいの。って感じですよね。私も就活前に先輩から「20〜30社とかが平均かなー」とか言われてたから
迷いました。だけど行きたくない会社に入社してしまうくらいならやっぱ自由ニートでいいかなって感じで、ちょっと捻くれ者だったもので。。
ちょっと長すぎになるなあこのブログ
ここからはサササッと。
結果から言うと、最終的に内定を頂いたのは、ブライダル1社と商社1社。
あんなに最初ブライダルだ・:*+.\*1/.:+君に決めた!みたいになってたのに今では商社マンしてるかっていうのは、今回は省きますけども、、
エントリーシートは、説明会のあと提出を求められたり、面接前にネットで提出したり。
就活の流れは人それぞれだけど、私は、説明会→エントリーシート→筆記試験→面接複数回
なぜか最初から魅力的で捨て切れなかった食品商社(就職先)に出した
【自己PR】
「「行動力」と「向上心」
自分の学生時代の経験から、多くの人と関わることで人間力の向上に努めてきました。人間力と は、未来のAIやロボットにはない人としての魅力や影響力があることだと考えています。常 に向上心を持ち、積極的に自ら行動していき貴社で活躍したいと考えています」
で、、ラジオの質問はこれがどう、活かせたかっていう鬼ムズ質問。
ん〜。!
学生時代の時にアメリカとか国内1人で泊まり込みバイトとか行ってたおかげで人と関わることが大好きだし、怖くない!新規訪問とかも全然怖くない。でも今はコロナで営業も自粛中なのでまだまだ本領発揮は先ですが〜!って感じです。
次の質問は、、社会人になってからあ、これも自己PRに書けたかもって思うこと。かあ。。
これまた鬼だな。
うーん、ない!笑
それくらい自己分析しっかりできたってことか、就活時代から成長してないのか、、、。
次は、自己分析の方法
残念ながら就活ノートもう無くなっちゃったんだけど、就活ノート作ってました。「私就活やってる感」が結構大事だと思ってて、自信に繋がる気がするから!
そのノートに自分の人生年表作って、感情の上がり下がりがあった出来事とか感情を折れ線グラフのようにしてみて、「あ〜自分ってこういうことで結構落ち込むんだ、え、結構前のことなのにこの嬉しかったことまだ覚えてるんだ」とかとか。もう言ってみれば記憶の修復?記憶の呼び起こし作業をした。
で、自分の好きなことやしたいこと、夢、楽しいと感じること、LOVEなことをたくさん言語化かしてみる。
その逆も。
とにかく自分を知ること。面接って部活のこと聞かれがちだから7年前の中学校の部活の時に、「じゃああなたその時どういう感情になったの?」とか聞かれる。
次の質問最後ね、最後。
ゼミの後輩のみなさんからみた私は、
「きついことの後に楽しいことがあるから努力できる」ということを信条にしているという印象。らしい。また会社でそういった経験はあるか。
まず、、正直に私そんな感じなんだ?!?!って思った
きついこと大嫌いで努力も割と好きじゃはずなんだけど。そうなんですか私!笑
そう、ブログとかにいつか書いてたらごめんなさい。
でも私は、順番逆かも。!
楽しいって自分が直感で思ったことなら、少々きつくても頑張って努力もできちゃう気がする!
あくまでも自分が思わなきゃだめで、人から、おもろいよ!って勧められても自分がゴーサイン出さなきゃ「心」動けないタイプ。
ていうことで、これで予習はおわりでいいかな。
きっとゼミの後輩みなさんは、たくさん明日のために準備してくれてるはずだから、明日はこれをカンペにしながら、少しでも、なにかお裾分けできたら幸いです。
最初の方に書いた、商社の仕事は人じゃなくてもできる仕事だ。って最初はたしかにそう思っていたけれど、今働いてみて決してそうは思わない。
今では就活でなぜか捨てきれなかったこの会社の魅力がわかる気がします。
働くことは決して楽じゃないし、楽しいことばかりじゃないけど、
今やりたいことはやっぱり今のお仕事だと思うから、ど〜うしても自分の譲れないやりたいことが見つかるまでは、今の会社で精一杯、楽しもうと思います。
*1: °ω°
卒論
小学生の時、よく一緒に遊んでくれた大学生のお姉ちゃんはある日から「卒論書かないといけないんだ…ごめんね…」って言ってあんまり遊んでくれなくなった。
だから、私にとって大学生は卒論を書くひと。みたいなイメージがあった。
そんな私もついに今年卒論を書く歳になった。小さい頃に想像していたよりも大学生って全然大人じゃなくて、でもやっぱりあの頃よりは大人で。
私は、小学4年生と6年生の時、すんごいものすごい怖い先生が担任だった。その先生は、私たちが、係の仕事を少しでもできてなかったり、宿題を忘れたり、授業で使うものを忘れたり、ちょっと悪いことをしたら、ものすごい顔で私たちを、怒鳴りつけて、退場部屋に連れて行って、授業を受けさせてくれなかった。(いや、今だったら体罰じゃん。。)
その退場部屋では、漢字ドリルの漢字を意味わからんくらいにたくさん書いたりした。
こんな地獄の大魔王みたいな先生でも今では感謝していることがある。
それは、文章を無限に書き続けれられることと、人前に立つことに抵抗がないこと。
私たちは、月一くらいのペースで、退場部屋で学校生活してたんだけど、そのたびに「反省文」を原稿用紙二枚分にみっちり書かないといけなかった。自分が何をしたのか。何が悪かったのか。今の感情。今後どうしていくか。みたいなことを自分の字と言葉で書き続ける。そして、それをクラスの前で、学年全員の前で読まされたりもした。
そんなことを小学四年生から六年生まで続けたら、まあ慣れるよね。うん。でも怒られるのは毎回本当に怖かったから、真面目に文章考えて、発表してた。
そう。こういう小学生活を過ごしてきたから、それ以降の人生で文章を書くのにあまり苦労したことがない。
だから卒論も余裕やろ〜みたいな、ナメクサッテタ。
だって、テーマも自由でしょ。好きなこと書いていいんでしょ。たった18,000字でしょ。みたいな。。。(心の声)
でも、、チガッタ。
まず、最初に待ち受けていたのは、テーマ決め。なんでもいい?ほんと?!って喜んだ自分…何でもいいよ。っていう自由な範囲って何事においても実は難しい。
いろいろ考えた。まずは自分の好きなこと、もの。うーん、あれ?これといってなくない?…はい、次〜、…え…
なんにもなかった。書きたいものが。だから書ける内容を探しはじめた。どうせなら社会に出て役に立ちそうなことを。っていう基準で探したけど、先生にそういう役に立ちそうとかいう基準で選ぶのは面白くないよくないなあ。って言われて、どうすればいいんだ。。ってなった。
次にテーマを見つけるために、あれほど読書が苦手中の苦手だった私が、いろんなジャンルの本を4日に1冊くらいのペースで読んだ。先生に勧めてもらった本や、本屋さんでパッと目についた本など。とにかく手当たり次第に読んでみた。
でも全部、引っかかるものがなかった。というか、本を読むっていうことがメインになっていたから、見つけられなかったんだと思う。
本を読んでも全部、なるほどなねえ、へ〜そうなんだあ〜。でおわり。DAIGOの心理系の本なんて納得しかなかった。
卒論の議題にするには、
・メウロコ…なるほど、そうだったのか!
・ハゲドウ…そうそう、私もそう思ってた!
・ナツイカ…ん?なんかへんだな。どうして?
・ハゲパツ…なんじゃこれは!絶対認めないわ!
を見つければ、ここから議題をあげるといい。
そんな毎日本を読み、これもちがう〜あれもちがう〜っていう日々を送っていた中、なんとなく古本コーナーのところで、沢山本がある中で、何も文字を見ずに本を一冊取ってみた。それが後に、"ナツイカ"を生み出した。
ナツイカかは、わからないけど、、ディズニーランドってなんで夢の国なんだろう。どうやって夢の国を作り上げてるんだろう。みたいな感じ。こんなに疑問が湧いた本は初めてだった。
これだー!ディズニーランドにしよう!ってやっとやっと決まった。
そこからはもう、楽しかった。だんだん本を読むことも慣れてきて、1日一冊とか読めるようになって、ディズニーランド系の本をある程度読んだら、先生が言っていた「一定のところまでいくとその事柄については誰よりも知っているぞってなる」っていうのがとてもわかった。その次は、自分のテーマにある程度近い、論文を読んでいった。これを繰り返しながら、卒論をだんだん書いていって、1万字くらいになった。
さて、次はアンケートだ。と思って最初はアンケートを取ろうと思っていたが、インタビューのほうが、良いと言われインタビューを行った。みんな快く協力してくれて優しい世界だ〜。ありがとう。
っていう感じでもう5千字くらい書いた。
さあ、もういよいよ終盤よ。あと3千字。ここからは困った。もう材料もかき切っていたし、何を書こうって。それからここに来て、また論文を読み始めた。今回は少し自分のとはテーマがズレたというかディズニーランドは関係ない論文を読んでみた。
よしよし、書けた〜!18,000字!!!
急いで先生に見せた。この後、先生からもう少し、ツッコミをもらい、そこを追加した。
そして、遂に完成した。合計25,000字です。
いや〜頑張った。開放感がすごい!!!
卒論を書くにおいて、大変だったことは、圧倒的に卒論の内容を決めること、定めること。それについての本や論文をひたすら読み続けること。卒論を書く時間を確保すること。
お疲れ様でした。おわり。
新しいことだらけのトゥエンティートゥエンティー
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
2019年は、本当に濃い1年だった。号泣しながら年が明け、彼氏と仲直りをするところから始まった元旦。学校が始まると、いよいよ周りの友達も自分自身も就活ムードになってきて、それがなんか居心地悪くて、とりあえず関西旅行にいき、やっぱり就活やめる〜って言ってた2月ごろ。そんな感じだったのに、いつのまにか"自分の手でたくさんの人を幸せにしたい"って思うようになって、その軸で就活解禁と共にやっとこさ、就活がスタートした3月。4月は就活の面接からの面接からの説明会からの面接、ちょいバイト。みたいな感じ。1番頑張ったのは、最終面接を合わせて8回も面接した。試験に通過できる度にすんごい嬉しかった。ちょっとでも神様が味方してくれるように、急いでても絶対信号守ったり、家の洗い物したり、太陽に向かって微笑んだりしてた。そんな感じのバタバタな日々を過ごして4月末には内定をいただいたんだっけな。だから、ぶっちゃけもうなんのプレッシャーもなく、5月の中旬くらいにあった本命の最終面接に向かってバイトしたり遊んだり元の学生生活に戻ってた。それから5月中旬ごろに本命だった会社から内定もらえて、一件落着。って思った。が、、全然だった。ここからがすごい1番就活したわ。脳みそを使いに使った。ブライダルと商社っていう全く違う業界でどっちに入社するか本当に悩んだ。相当悩んだ。って言っても2週間くらい?期限があったから。で、結局商社にしたんだけど、その理由はたくさんあるけど、商社の面接では自分を飾らずに、作らずに面接を受けることができたな。って感じた。だけど、ブライダルはこういう人間像好きだろな。みたいな感じで、大袈裟に言ったら面接っていう演技をしていた気分。こんな演技を何年も続けられねえわ。みたいなもっとゆる〜くたのし〜く楽〜に生きていきたいわあ。って思ったから。っていう決心をしたのは、まだたったの5月末かあ!一年長いなあ。
さあ、そして6月。テストだなテスト。ここで1つでも落とすと後期も取らないかん。っていう大切な単位たち。テスト勉強がんばった。その結果、、、全部とれた〜〜!!!
あれ、おかしいな。7月があまる。。。どこかでズレた。。まあそんなことは置いといて、
8月はテストあとすぐに、熊本にピューンと1ヶ月。学生生活最後のリゾートバイト。宿に泊まり込んで毎日温泉が入れる生活、しあわせだと実感した。仲居の仕事は、お客さんから日本なのにチップ貰えたり、美味しそうなご飯毎日提供できたり、お客さんを笑顔にできて嬉しかった。次は9月、グアムだグアムに行った!初めての南国。久しぶりの英語!楽しかった!海の中に魚が泳いでて〜、海はだんだん向こうに行くと深くなっていって〜、全部新鮮で海外いいなあ。旅行っていいなあ。好きだなあ。って改めて自分の生きがいのような目標を見つけることができた。そして、10月、ふ〜1年って長いようで短いようでやっぱり長い。ブログのリハビリがいる。ちょっと飽きてきたけど、頑張ろう。10月は、何したっけか。。と思ってスケジュール帳をここにきて初めてカンニングしてみると、会社の研修が大阪であったみたい。うーーーん、覚えてない。でも同期にはじめて会えていい人たちで安心したっけな。
11月、、は、、、何したっけ。あ、わかった。なんで10、11月の思い出がないのか。卒論だ。卒論に必死だった。卒論は、本当に、大変だったなあ。。卒論ブログは下書きに溜めてるから、また今度単独で上げよう。
そんなこんなで、12月。やっときたぜ、12月。何したかな。うーーん。毎年10.11.12月って一瞬で過ぎ去る。わたしだけ同じ時空にいなかった??って思うほどこの3ヶ月早いよなあ。
そして、去年もう一つ、私の中でとても大きな出来事があった。これは書こうかとても迷ったけど、忘れたくないから書く。
私の友達が亡くなった。とても急だった。とても悲しかった。自分は実は、人に心を開くのがすごい苦手で、人を信じるまでに時間がかかって、でもその子は私のとても大切な友達っていえる数少ない友達で、私はこんなにこの子に助けられたのに、私は何も助けられなかった。もし、あの時、遊ぶ約束してたら、まだ生きててくれてたのかな。とか、半年後にアメリカ行こうって言ってたのもう予約しとけば、なにか変わったんじゃないのかな。ってたくさん考えた。今でも不意に考え込んじゃう時はある。でもそんなこと考えても時間は戻せないし、後悔するだけじゃダメだなって思う。もう二度とこんな辛い後悔はしたくないし、大切な人を失いたくない。だからこそ今、自分だからできることをする。と心に決めた1年でもあった。
ああ、なんか、暗くさせてしまってたら、ごめんなさいいい。でもこのブログ読む人おるんかな。。
と、気を取り直して、ここからは、明るくいきますよ!
去年の新年ブログを見てみると、「慎重に全力で」という抱負を掲げていました。
いやあ、達成できたわ!これに関しては自分を褒められるわ。全力な1年だった。って言い切れる1年だったし、今までは流されるように行動してきた人生だったけど、慎重に何度も悩んでよい方向に進むことができた年だった。
さてさて、2020年抱負は、「素直に、真剣に楽しいこと探し」っていうのにしよう。
3月には大学を卒業し、4月には社会人1年目。楽しみだあ、新しい物好きとしてはたまらんな。今年は素直に生きてみよう。そして何事を小さなことも大きなことも真剣に取り組んでみよう。そして、真剣に真面目に楽しいことを探してみよう。仕事を大人の遊びって言えてるのが、今年の目標です。
今年一年もとっても楽しみです。新しいことだらけでワクワクします。
とりあえず、2/3に出る勤務先が早く知りたいです。
ということで、
2020年も皆様にとって、しあわせいっぱいの年になりますように。
こんなまとまりのない、リハビリブログを読んでいただいた方、ありがとうございました。
↓グアムで美味しかった食べ物
業界分析って。ここで働きたい。
今の自分の感情をそのままメモします。
2/7業界分析セミナーが福大で行われた。
☆専門商社「(株)PALTAC」
☆旅行業界「(株)日本旅行」
☆金融業界「(株)三井住友銀行」
☆ホスピタリティ業界(サービス業界)「(株)Plan・Do・See」
の説明会へ行った。
☆ 商社は、メーカー(作る)→卸(商社)→小売(販売)という、メーカーと小売の仲介のような役割をしている。
商社を介さず直接取引した方がスムーズで手数料のようなコスト削減になるかと思っていたが、それは全く逆で商社を通すことで何重にも複雑になる取引の手間を省き手間とコストが削減されている。
今後は、業界的にもAI、ロボットと進化した物流という全く新しい取引が課題となってくる。
私は、今まで大企業である総合商社ばかり見ていたが総合商社は総合というように自分には何でも屋のような全てを幅広く手がけてしまっているため、ある程度の土台が企業にできててしまっていて挑戦したい、新鮮なことにワクワクしたい自分にとっては違う?と感じた。でも専門商社では、ある決まった専門のことを進化させようとしている傾向もあるので、まだ捨てきれない気もする。別に捨てなくていいか。
☆旅行業界は、聞いていて、ザ・サービス業。
BtoCだから今の時代でもお客様は絶対的な神様のような見方をしているように見えた。
他の業界では社員も同様に大切にしている姿が見られたが、自分的には旅行会社は、大切にしたくてもなかなか難しいっていう現状が溢れ出ているように見えた。
2017年の旅行業界販売売上ランキングでは、
1位 JTB
2位 楽天トラベル
:
3位 日本旅行
楽天トラベルはオンラインのみであるが日本旅行は総合旅行会社と言われていて色々な仕事が可能である。
私は、人よりも国内だけでなく、海外旅行も好きだと思うから旅行業界も視野に入れていたが、意外と仕事自体に興味を持てなかった。
☆金融業界は、今まで全く調べてもないし、視野に入れていない業界だったのであえて行ってみた。
難しいとか、固い、年齢層高めで怖そう?みたいなイメージばかりあった。
でも、1番驚いたのが、利益が全体的に6000億円ほどあるうちの約半分が全6部門のうち1部門の海外事業部から出ている。
正直、銀行は海外と全く接点がないと思っていたが、これからの金融業界はグローバル化が絶対とされている。
☆ホスピタリティ業界(サービス業)は、今まで気になってはいたがなんだか踏み出せずにいた。
もちろん大事って分かっているけど「お客様は神様」っていう歪んだ?文化が好きじゃない。
だからサービス業は嫌だって決めつけていた。
しかし、この企業の業界説明会を聞いてから180度変わった。むしろこの会社に入りたいとまで思った。感動した。
「日本のおもてなしを世界の人々へ」を掲げ、1番大きな事業はホテル事業である。
ホスピタリティ業界=人的接客サービスを提供する業者
時代に合わせて変わっていく中で、「もし自分がお客様だったら」ということを個々が軸にして、ホテルに関わる全ての人のことを考えた店づくり、またその場所にあるからこそ愛される必要である、よりステキな場所を創造する、街のシンボル作りのようなことを行う。
とても素敵な仕事だと思った。
沢山の人の幸せを考えられる、見返りを求めない相手を想う気持ちこそが、日本のおもてなしであり、自分の将来の夢にも近いと感じる。
そして、この会社のこの事業に関わる人にしかできない仕事だと思った。
AI、ロボットや他の誰にも取って代わることのできないこんなワクワクする仕事を自分はしたい。
↓
Q、じゃあどうしたい?
なりたい自分[人生分析]
最近、就活ムードが漂ってきて、私自身も色んな就活関連のセミナーにも行き始めて、
つい最近までは、就活はしない。って思ってた。
週5で8時間みっちり働くなんて考えれない。毎日毎日同じことの繰り返しになってしまいそうで怖い。だから働くにしても必然的に刺激が得られる海外に行きたいって思っていた。
でもよく考えて、たくさん自分なりに考えて、1番就職したくない理由の「毎日同じ繰り返し」って自分次第じゃん。って気づいて、就活しようって決めた。
決めたからには、ちゃんとしたい。中途半端にしたくないし、後悔したくない。
最近は自分を分析しまくっている。これが自己分析ってやつか。
生まれた時からの年表をブログで文字にしよう。
1998年3月に生まれた。自分は4人兄弟の長女であり、親戚中で初の女の子でもあり、かなり甘やかされて育った。
幼稚園までは、かなり人見知りでずっと泣いてばっかりだった。
小学生になるとだんだん打ち解けて、小4で吹奏楽クラブに入った。
とても怖い顧問の先生だった。
小4〜小6まで、この怖い先生が担任でもあった。
宿題を忘れたり、係の仕事をサボったり、色んなことで怒られる度に、反省文を原稿用紙2枚にみっちり書いて、みんなの前で読んだ。
だから、未だに感想とか文章はいくらでもかけるし、人前で緊張もしない。
当時は、泣くほど怖かったけど今となっては感謝している。
そして、小5で友達に誘われて、バレークラブに入った。
学校がない土日にしていた。小6では副キャプテンになった。キャプテンの子は小2からバレーをしてたのでとても上手かった。いつも負けて悔しかった、この時から負けず嫌いだ。
そして、中学生では小学校から引き続きバレー部に入部した。
そして私の中学校はヤンキーの集団みたいな中学だったので、スカートも短くて化粧して遊び回ったり、親に反抗したり沢山ごめんなさいと言いたい。
それでも部活は一生懸命していた。バレーが大好きだった。チームメイトも大好きだった。ここでチームプレイの大切さとか難しさ協調性を身につけられたと思う。
自分の一個上の代の先輩はとても尊敬できた。だから自分もこんな先輩になりたいと思って、頑張った。3年ではキャプテンになり、エースとしても沢山毎日頑張った。
最後の大会では県大会の直前までいけた。
最後まで頑張る粘り強さや、キツイことも楽しいと思える強さが身についた。
そして、中学卒業し、ここから大きく人生が変わった。
受験したい高校も決まった11月中旬。お父さんから福岡転勤になった。っていう電話が来た。
転勤族なのでよくあり、単身赴任っていう選択肢もあったけど私は福岡に行きたいと直感的に思い、行きたいって答えた。
そして、福岡に家族で引っ越すことになった。
さあ、ここから高校選びが振り出しへ。そして、1番制服が可愛かった高校に決めた。本当に理由は制服が可愛かったから。ってだけ。
福岡の高校は県外受験は不利とか推薦がないとか、色々怖かった。
だから沢山勉強した。それで受験に受かって、商業高校へ入学した。
ここでも沢山の人が協力してくれて、人の大切さ、感謝の気持ち、そして最後までやり切ることを学んだ。
そして、福岡生活がスタートした。最初は方言も意味わからないし、田舎だからなおさら。だけどそれが新鮮で楽しくて仕方がなかった。毎日ワクワクした。
高校では中学で遊びや部活で勉強を全くしなかった分、沢山勉強しようって決めていた。
だから実は高校の成績はいつもトップだった。
この時は一回みたらなんとなく覚えられていた。この時の記憶力を是非取り戻したい。
そして、最初は高卒で就職する気で入学したが、専門学校から短大になり四大に行きたいと思うようになった。
大学へは指定校推薦でほぼ受かるという選択肢もあった。一方で、校長会推薦っていう賭けみたいな推薦もあった。
私はその賭けみたいな推薦の方を選んだ。これは、取得資格や成績プラス2000字の志願理由で書類選考があり、福岡県で1人だけ合格する。だから自分より良い資格と成績を待っている人がいれば、自分には一般入試という商業高校生にとってはかなりキツイ試験が待っていた。
なんとかこの推薦で合格することができた。
ても嬉しかった。コツコツ頑張ることの大切さが身にしみた。
そして、大学生。華の女子大生。華と言われるだけある。毎日キラキラして夢のように楽しい。自分のしたいことして、自由に生きていける。アメリカにいって留学してさらに、自分の中の自由の幅も広かった。
やっぱり自分のなりたい自分は、今日も、5年後も10年後も30年後もずっと人生楽しいって思っていたい。
でも、このブログで全部書き出してみて、今まで気づいてないことに気づけた。
自分はその時は楽しくなくてキツイことも後から成功や楽しいことが待っているならばそれは楽しいってことになっている。
瞬間、1日、1秒が楽しいじゃないと嫌。って思ってたけど、それは違った。
たくさん努力して乗り越えて楽しいがあれば自分は幸せだと言える。
それがなりたい自分である。
HAPPY NEW YEAR
あけましておめでとうございます。
私は、0:01を人生最大の大号泣でむかえました。
2018年の自分を一言で表すなら「蓄積」
一言では表せないくらい
自分的に、今年は、どおおおおおんと行動とか、大きな変化は無い年だったけど、沢山の知識や経験を蓄積できた年だったと思う。
1番大きかったのは、やっぱりアメリカ留学。
自分の存在の小ささを知り、世界の広さを知った。
世界の文化や、人間が本当にこんなにも違うんだ、っていうのもとても感じた。
「日本人はシャイだね〜」って言われる理由が痛いほどに肌で感じられた。
でもこれは恥ずかしいことではない、これも日本の文化なんだなと感じられるようにもなった。
なんだかんだ最近は日本が好きだ。
他にも、3年生になり始めたインターン。
人生で初めて、会社で働く大人と一緒に働いた。
バイトは今まで14個してきているが、(やりすぎ)バイトとは全然違った。
一回り違う人たちと同じ空間で、働くということ。
自分の直属の上司は東京にいて、毎日東京と福岡間でテレビ電話をするのが当たり前だったこと。
どれもとても新鮮だった。
また、社会的に偉い人と呼ばれる人にもたくさん会えた。
話してみると、想像よりは、はるかに普通の人だった。(凄い上からでごめんなさい)
私が感じたのは、「凄いひと」って、才能じゃないなあって、「努力と勇気」で今の地位が持てた人たちなんだなあって思った。
だから、私にもチャンスはいくらでもあるなと思った。
これに気づいて就活をしよう!と思った。
ということで、去年の蓄積は、他にもバイトでのことや、ゼミでライオンさんのプロジェクト、友達関係、恋愛関係、海外旅行、成人式などなど沢山あった。
今年の目標は、「慎重に全力で」
就活をすると決めたからには、慎重に、全力で頑張りたいと思う。
また一日一日を大切に全力で楽しんでいこうと思います。
2019年も楽しみです!!!!!!!!!!!
みなさまにとって最高で、笑顔いっぱいの1年になりますように。
洗いものを料理する
[またまた時間重視メモ]
人は100年後にはご飯をたべない?→…
でも、100年後は、逆に時間を持て余しているのかな(ロボット、AIにより今よりもfreeが多い?)
→食べることに時間をかける
→ご飯はなくならない
「食べる皿」
料理のレパートリーが増える
足りてない栄養をメーター?機械で計算されて、足りてない栄養が組み込まれる皿。
(例:カルシウム、亜鉛)
((別に皿の形にしないでいい?))
⑴指をかざして、足りない栄養。測定
⑵電子レンジ型?の機械で皿をつくる
⑶盛り付けて食べる
指登録して、ずっと栄養がわかる
風邪もひかない
何が食べたい気分〜で味が変わる
(皿の形じゃなくていい)
料理でも皿でもスープでも箸でも、形状が変わる、何パターンでも、再利用するという考え
→何にでもなる
→洗いものを料理する